毎度、お世話になっております。
今回も忙しくする日本人の皆様へ、台湾・日本に関連したニュースや、海外引越にかかわる情報をご紹介いたします。
よろしければ、ご一読していただけましたら幸いでございます。
簡単な調理で食べられるインスタントラーメン(即席めん)。私もよくお世話になっています。
定番の塩・醤油・味噌やご当地の味を再現したものなど、手軽ながらたくさんの味が楽しめるのも魅力ですよね。
農林水産業の調査によると、日本の年間即席麺輸出量の国別トップ3は、1位:香港(中国)、2位:アメリカ、3位:台湾だったそうです。
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参考:農林水産物輸出入統計 / 農林水産物品目別実績(輸出)
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今や世界中で愛されるインスタントラーメンですが、その「インスタントラーメンの父」と言えば日清食品創業者・安藤百福です。
実はその日新食品創業者と台湾に深い関係があったことはご存じでしたか?
さて今回のメルマガでは「インスタントラーメンの発祥」に関して深堀して皆様にお伝えしたいと思います。
よろしければ、ご一読していただけましたら幸いでございます。
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本当の発祥の地は台湾?
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日清食品創業者の安藤百福氏は、1958年に世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明しました。
しかし、この安藤百福は台湾と深い関係があります。彼は台湾に生まれ、日本に帰化した実業家で、本名は呉百福、台湾の嘉義県朴子市の出身だそうです。
時は1946年、台湾の彰化県員林で「清記冰果室」が開店する。
日本在住の台湾人作家・劉黎児やジャーナリスト・野嶋剛も指摘しているが、日本の即席めんのルーツとされる「鶏絲麺」を日清食品よりも先に販売を始めていたのです。
「清記冰果室」の3代目店主・戴逸説曰く、彼の祖母が調理時間を短縮するため、1951年から麺線をラードで揚げていました。
それが鶏肉を細く裂いたものに似ていたことからKesi-mī(雞絲麺の台湾語)と呼ばれるようになったそうです。
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参考:時代と共に進化する台湾の即席めん(2024/2月)
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安藤百福と台湾の複雑な関係
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安藤百福(1910-2007)と、その妻・仁子をモデルにしたNHK連続テレビ小説「まんぷく」をご存じの方もいるかと思います。
しかし「まんぷく」には、一切触れられていないことがあります。
それは安藤百福が台湾出身者で、少なくとも成人する前のほとんどの時間を台湾で過ごし、その後も台湾で家族を持っていたことです。
では、どうして安藤側は台湾との関係を強調しなくなったのか。
ジャーナリストの野嶋氏は安藤の故郷・台湾嘉義まで取材を行い、こう推察する。
「まず安藤百福については、日本の台湾華僑社会で評判が芳しくない。
それは、彼がチキンラーメンの販売で成功する前に、華僑との間で金銭的なトラブルがあったと指摘する華僑もいるそう。
彼が経営者を務めて倒産した信用組合の問題が絡んでいるとも言われるが、古い時代のことなので検証は難しい。
ただ、彼はチキンラーメンの発売後、台湾との関わりをほとんど語らなくなり、華僑社会との人間関係も失われていったと言われる。
もう一つ考えられるのは、チキンラーメンの「発明」と台湾との関わりに議論が及ぶことを避けようとしていた可能性もある。」
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参考:なぜNHK「まんぷく」は、安藤百福の“台湾ルーツ”を隠したのか (2018/11月)
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安藤氏に対して賛否があると思いますが、1つ言えるのは安藤百福と台湾「雞絲麺」のどちらも「インスタントラーメン」誕生には必要不可欠な存在だったと思います。